工房紹介

経験ゼロから木彫看板師への道のりを全て明かします

パソコンなんか触ったこともなかった、
どうしようもないオヤジが、
インターネットを使い、木製看板の受注製作に挑戦し、
全国の会社、大学、国の機関や各仏教宗派からも製作注文を、
いただけるようになり、現在の累計製作1000件以上になりました。

なんでわたしが、木製看板の工房を始めたかといいますと、

好きなことを仕事にして自由に暮らしたい。

その夢が消えなかったからですね。

でも、本当にできるかどうか、本当に食っていけるのか

そんな不安や悩みは全くゼロではありませんでした。

わたしのような不安や悩みを持っている人は、たくさんいるんじゃないでしょうか?

逆に、好きなことを仕事にして自由に暮らしたいと思う人のほうが少ないのかもしれませんね。

42歳まで、今の仕事とは全く無関係の仕事をしていました。

具体的に言うと

NTT電話工事の孫請け会社で一人親方として働いていました。

一人親方というのは、従業員を雇わず、自分自身だけで事業を行なう個人事業主のことです。

わたしがやっていた電話工事一人親方というのは、
元請け会社から仕事を請け負い、その仕事をこなし収入を得るというものでした。

だから、仕事はゼロではなく、ありました。

だから、収入がなく生活に苦しむ。ということはありませんでした。

でも、その安定した収入の仕事を辞めました。

実は、以前は無一文でした。

なにをやっても全くうまくいかず、崖っぷちの状態だったんです。

パンの耳を食べたり、ご飯に醤油をかけて食べたり、
ご飯に味噌を乗せ食べたり。

このままで生きていけるのか、
不安で夜も眠れない日々が続き、精神的にまいっていました。

そしてある日、インターネットを使い、
何か仕事ができないものか?と、

木製看板の彫刻師になり、
インターネットを使い注文をもらう。
というアイディアを思いついたのです。

腕一本で生きていこうと、けっこう重めの決心をしました。

やったことも無いのにです。
彫刻刀やノミなど持ったのも小学生以来です。

でも、絶対食べれるようになれる。
と、「根拠のない自信」だけはありました。

本当に感謝しています

1000人以上のお客様に助けられ今があります。本当に感謝しています。

1960年に、岡山県倉敷市下津井田ノ浦の漁師町で生まれました。

こんな時もあったのでございます。
白黒写真です、時代がばれますね。O型です。

小3から野球に目覚めっ、て言ったら大げさですが、
とにかく、朝から晩までボールを持って遊んでいました。

小5で地元、子ども会のソフトボールチームでピッチャーでした。

その頃、身長は前から3番目・・・チビんこ。なのに、なぜか
地区の陸上競技大会(走り高跳び)で1等賞になってしまうのです。

6年生もピッチャーで、地区大会準決勝で敗退、悔しい思い出があります。

ということで、中学校も野球小僧で、好きな学科は体育のみ。
なのになぜか、学級委員、生徒会副会長などをやったりして。

・・・やり手がいなかったんで。

高校も、野球部へ・・・と思って、坊主にしたんですが、
遊ぶのがおもしろくて、おもしろくて、おもしろく・・・もうええか。
夜と昼が逆転生活の必殺遊び人。

1年生のとき家庭謹慎1回、2年生、3回。3年生1回の退学一歩前のおばかチャン。
仲間のバイク事故がきっかけで、普通?の生活に戻る。

ちなみに、倉敷工業高校(電気科)でんき科。
わたしの場合は、できん科 ・・・って、おもしろくないですね。

いろいろ。いろいろいろいろ・・・あり、現在独身。

その気になればできるもんですね

軽トラの荷台を工房に改造し、起業。
それが面白いと言うことでテレビにも出たんですよ。(地方局ですが)

上記写真は起業当初の工房。
軽トラの荷台を改造した、移動工房が初代の工房です

2代目工房はアパートの少しのスペース。

そこへキャンプなどで使う、日よけターフを張り、
その中で作業。夏は暑く冬は寒く季節を肌で感じておりました。

3代目工房はガレージ。この中で作業をしていました。

ついに奇跡が起こりました

起業から今現在まで、たくさんの人に助けられ、今があります。
本当に感謝しています。

わたしの師匠です

戦前に作られた木製看板。わたしの師匠です。

インターネットで購入。
この一枚の古い木製看板からカマボコ彫り、薬研彫り。
文字の塗装法などを研究し、学ぶことができました。

文字はどうやって塗装しているんだろう?
と思い、塗装を剥がしてみました。

文字を彫り、直接黒色を塗っているのではなく、
なにか下地を付けていることがわかりました。

その当時の材料で考えられるのは
「とのこ」と「漆」かなと想像。

なるほど、なるほど、こんなふうに彫って塗ればいいのか。

実際にやってみるのですが、なかなかうまくいきません。

いろいろ試し、試行錯誤しながら、
七瀬流にアレンジし、今の木製看板製作に至っています。

いまでは独学でやってきて遠回りしたな。と思います。

何かやろうとしたとき、その道で既にやっている人は、
たくさんいらっしゃいます。

やりたいことが明確にあれば、
その道でやっている人に聞くのが、1番の早道です。

わたしは木製看板を作る方法がわかります。

わたしでよろしければ、お教えします。

工房七瀬の場所

木製看板のことでお困りなら、お気軽にご相談下さい。